世説新語

世説新語


劉宋期に編纂された、漢末から東晋までの人物を中心とする逸話集であり、 その内容は孔門四科に則った上で、36門に分類し、多様な角度から、 個性的な人間の非凡な言動が描かれている。 また、梁代に劉孝標によって付された注は、 現在では既に散佚した書物からの引用も数多く見られ、 資料的にも高く評価されている。







1『世説新語』について

 『世説新語』は、後漢から東晋までの名士の逸話を収めた小説集であり、 「志人小説」と言われるものである。その体裁は『論語』先進篇に「徳行は顔淵、 閔子騫、冉伯牛、仲弓。言語は宰我、子貢。政事は冉有、季路。 文学は子游、子夏。」とある、いわゆる孔門四科に則って 「徳行」「言語」「政事」「文学」の四篇から始まり、 あわせて三十六門に分類して、多様な角度から個性的な人間の言動を描いている。
 『世説新語』に収められた話は、全てがオリジナルな話だという訳ではないらしく、 先行する裴啓『語林』や郭澄之『郭子』などと同じ話も見られる。これは『世説新語』に限ったことではなく、他の六朝小説でもしばしば見られることである。 しかし『語林』や『郭子』などが散佚してしまったのに対して、 『世説新語』は今に伝わっていることを考えると、『世説新語』は 志人小説の代表的作品であるということができるだろう。
 『世説新語』が編まれた当時すでに大きな反響を呼んだであろうことは、 『世説新語』が編まれてそう離れない時期に劉孝標の注が 作られたことからも推測できる。 さらに後世には、その体裁に習って、『続世説新書』『明世説』『漢世説』 『世説補』『今世説』などの続書も著され、大いに流行した。



2劉義慶について

 『世説新語』は、劉宋の劉義慶(403〜444)の撰とされる。 劉義慶は宋の長沙景王劉道憐の子で、武帝劉裕の甥にあたる。 臨川王劉道規に子が無かったので、その跡を継いで臨川王に封ぜられた。 彼は寡欲で文章を好み、遠近の文学の士を招き集めたという。 その著には『世説新語』のほか『宣験記』『幽明録』『集林』などがある。
 『宋書』巻五十一「劉義慶伝」には『世説新語』に関する記載は見られないが、 『南史』巻十三「劉義慶伝」には「著はす所の『世説』十巻、 撰するところの『集林』二百巻は並びに世に行はる。」と記されている。 ただし実際には、魯迅が『中国小説史略』で指摘するように、 彼を中心とした配下の文人たちの作ということになるだろう。



3劉孝標の注について

 『世説新語』には、梁の劉孝標(462〜521)の注が附されている。 劉孝標は名を峻というが、字の孝標で呼ばれることが多い。 『梁書』巻五十「文学伝・劉峻」によれば、彼は非常に学問を好み、 書を読んで夜を明かすこともしばしばであった。 また彼があまりに書物を好むので、清河の崔慰祖は彼を「書淫」と呼んだという。
 劉孝標の注は、『世説新語』本文の記述を補足するのみならず、 本文の誤りを訂正しているものもある。唐の劉知幾はその著『史通』でこのことを高く評価している(巻十七「雑説」中「諸晋史」)。
 また劉孝標の注には四百余種の書物が引用されており、 その大部分は佚して伝わらない書である。そのため、裴松之『三国志』注、 李善『文選』注などと並んで、佚文を収集する際にも注目される資料である。



4書名について

 『世説新語』の元の書名は、『世説』であったらしい。詳しくは 「『世説新語』のテキスト」に譲るが、先に挙げた『南史』「劉義慶伝」、 『隋書』経籍志、『旧唐書』経籍志、及び『新唐書』芸文志では全て 『世説』とされている。これが唐代には『世説新書』と呼ばれるようになった。 その理由は定かではないが、一説には漢の劉向に 『世説』という著作があり(『漢書』芸文志)、 それと区別するために新書の二字を加えたのであろうといわれる。 いつ、どうして『世説新語』と呼ばれるようになったのかは分からないが、 遅くとも宋代までには『世説新語』と呼ばれるようになったようである。






1書名について



 『世説新語』は「世説」「世説新書」「世説新語」の三種の呼称がある。
 「世説」という呼称について、梁の沈約撰の『宋書』の劉義慶の伝には記述がなく、 唐の魏徴等撰の『隋書』経籍志に「世説八巻宋臨川王劉義慶撰 世説十巻劉孝標注」とあり、 唐の李延寿撰の『南史』の劉義慶の伝には「所著世説十巻」とある。『旧唐書』経籍志には 「世説八巻劉義慶撰 続世説十巻劉孝標撰」とあり、『新唐書』芸文志には「劉義慶世説八巻 劉孝標続世説十巻」とある。
 「世説新書」という呼称は、唐の段成式の『酉陽雑俎』続四に「世説新書」とあり、 また日本に伝存した唐写本残巻の本文末に「世説新書巻第六」とある。
 また「世説新語」という呼称は、唐の劉知幾の『史通』巻十七に「宋臨川王義慶著世説新語」とある。
 これらから唐代には、「世説」「世説新書」「世説新語」という三種類の呼称が行われていたことがわかる。 また北宋の太平興国三年にまとめられた『太平広記』にも『世説』『世説新書』『世説新語』三種からの引用がある。 この後、「世説新語」に統一されていったようである。


2巻数について



 南宋の汪藻の『世説叙録』によると、二巻本・三巻本・八巻本・十巻本・十一巻本があったようである。 『隋書』経籍志などをみるに、八巻本・十巻本が古い形のようであるが、現在伝わるものは多くが三巻本である。

 
3版本について



 『世説新語』の版本については、八木沢元氏の『世説新語』(明徳出版社 昭和四十五年)の解説に詳しく述べられているので、それを参考にして主な版本について以下にまとめた。


○唐写本世説新書残巻
  京都に伝存していた残巻を羅振玉氏が影印したもの。


○南宋紹興八年 刻本(佚)
  南宋の紹興八年に が家蔵の旧本と晏元献の手訂本を校訂したもの。


○前田家蔵宋刻本尊経閣本
  金沢文庫旧蔵のこの本は、現存する宋本として貴重なものである。 汪藻の『世説叙録』が付されている。現在見られる版本の中で最も優れたものであるとされる。 宮内庁書陵部にも同じ宋本が一本所蔵されているが、『世説叙録』を欠く。


○南宋淳煕十五年陸游重刻本(佚)
   刻本を重刊したもの。


○南宋劉辰翁批点本
  南宋の劉辰翁が劉孝標の注に自らの注を加えたもの。 八巻本と三巻本があり、 八巻本の元刊本が内閣文庫に所蔵されている。


○明嘉靖十四年 嘉趣堂刻本
  明の嘉靖十四年に が南宋の陸游の重刻本をさらに重刻したもの。


○清王先謙思賢講舎本
  清の王先謙が 嘉趣堂刻本を基に刊行したもの。最も流布した。


○四部叢刊本
  上海の涵芬楼蔵 刻本を影印したもの。


世説新語佚文   古田敬一広島大学文学部中国文学研究室1954
世説新語校勘表  古田敬一広島大学文学部中国文学研究室1957
世説新語 (中国古典文学全集32「歴代随筆集」)  大村梅雄(訳)平凡社1959
世説新語索引   高橋清広島大学文学部中国文学研究室1959
世説新語 (世界文学大系71 「中国古小説集」)   川勝義雄・福永光司・村上嘉実・吉川忠夫筑摩書房1964
世説新語(中国古典文学大系9 「世説新語・顔氏家訓」)  森三樹三郎(訳)平凡社1969
世説新語 (中国古典新書)  八木沢元(訳)明徳出版社1970
世説新語(上)(新釈漢文大系76)  目加田誠(訳)明治書院1975
世説新語(中)(新釈漢文大系77)  目加田誠(訳)明治書院1976
世説新語校勘表附佚文   古田敬一中文出版社1977
世説新語(下)(新釈漢文大系78)  目加田誠(訳)明治書院1978
六朝評語集‐世説新語・世説新語注・高僧伝‐  森野繁夫中国中世文学研究会1980
世説新語と六朝文学  大矢根文次郎早稲田大学出版部1983
中国人の機智‐「世説新語」を中心として‐  井波律子中央公論社1983
世説新語(上)(中国の古典21)竹田晃(訳注)   学習研究社1983
世説新語(下)(中国の古典22)竹田晃(訳注)   学習研究社1984
世説新語 (鑑賞中国の古典14)   井波律子角川書店1988
マンガ世説新語   蔡志忠 著、松岡栄志・木村守 訳凱風社1995
















『世説新語』(せせつ しんご)とは、中国南北朝の宋の劉義慶が編纂した、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた文言小説[1]集。今日『四部叢刊』に収めるものは上中下三巻に分かつが、テクストによってその巻数は二、三、八、十、十一等の異同がある。『隋書』「経籍志」によれば、もとは単に『世説』と称したようであるが、『宋史』「芸文志」に至ってはじめて『世説新語』の称が現れた。『世説新書』とも呼ばれる。

中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
世説新語

目次
1概要
2日本への影響
3主な登場人物
3.1後漢・三国・西晋
3.2東晋
4各篇の名称
5日本語訳注書
6注・出典
7外部リンク
概要
宋の臨川王であった劉義慶は文芸を好み、多くの文学の士を集めては『集林』『幽明録(中国語版)』などの書物を編纂した。『世説新語』もその一つであり、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集め、その内容から三十六篇に分けて編纂したものである。それぞれの項目が「孔門四科」の徳行・言語・政事・文学を初めとしてジャンルごとに分類されている。基本的に小説集であり、史実とは言い難い話も少なくない。一方、この時代に生きた様々な人物の言動や思想を知り、同時代の世相を掴む上で貴重な書物と言え、取り上げられた人物が後代いかなるイメージを持たれていたかを推測することもできる。

成立の背景としては、後漢末期から行われるようになった人物評論(月旦評)が魏晋期の貴族社交界でも継承され、過去の人物に関する伝説を一書にまとめようとする機運が高まったことが挙げられよう。とりわけ中心的な主題となったのは「清談」である。いわゆる「竹林の七賢」に代表される老荘思想に基づいた哲学的談論が、当時の貴族サロンでもてはやされたことを裏付ける資料ともなっている。

『世説新語』が編纂されてから一世紀も経たないうちに、梁の劉孝標が注を付けている。劉孝標の注は、記述を補足し不明な字義を解説するだけではなく、本文中の誤りを訂正したり、また、現代では既に散逸した書物を多く引用したりしており、裴松之の『三国志』注、?道元の『水経注』などと並び、六朝期の名注として高く評価されている。

日本への影響
『世説新語』はたいへんよく読まれ、その亜流も数多く出現したが、明代の中国において編纂された『世説新語補』が江戸時代の日本へ紹介され、和刻本も出版された。秦鼎の『世説箋本』等、その研究も盛んに行われた。

主な登場人物
後漢・三国・西晋

陳寔


孔融


曹操


楊修


何晏


夏侯玄


鍾会


竹林の七賢 (阮籍,王戎,山濤,向秀,ケイ康,劉伶,阮咸)
夏侯湛
王衍
東晋
王導
王敦
?亮
王羲之
支遁
司馬c
桓温
謝安
桓玄


各篇の名称
第一   徳行篇(徳の高い人物の話)
第二   言語篇(外交的弁舌に優れた人物の話)
第三   政事篇(優れた統治能力を持った人物の話)
第四   文学篇(学問に優れた人物の話)
第五   方正篇(己の信じる義を貫いた人物の話)
第六   雅量篇(度量の広い人物の話)
第七   識鑒篇(シキカン、知識、判断力に優れた人物の話)
第八   賞誉篇(厳正に公平に人を褒め称えた人物評)
第九   品藻篇(品格や才能にあふれた人物の話)
第十   規箴篇(人物の良し悪しの判断に優れた人物の話)
第十一  捷悟篇(問題に対する対応力に優れた人物の話)
第十二  夙慧篇(大人顔負けの教養を持った子供の話)
第十三  豪爽篇(豪快でさわやかなすっきりした性格を持った人物の話)
第十四  容止篇(美男子の話)
第十五  自新篇(過去の過ちを己が力で正した人物の話)
第十六  企羨篇(目標とする人物に近づこうと努力しそのようになった人物の話)
第十七  傷逝篇(死者を心から偲んだ人物の話)
第十八  棲逸篇(世俗を離れ山野に下った人物の話)
第十九  賢媛篇
第二十  術解篇(占術、医術、馬術などに優れた人物の話)
第二十一 巧芸篇(芸術に長けた人物の話)
第二十二 寵礼篇(才能などを認められた上で寵愛を受けた人物の話)
第二十三 任誕篇(世俗にとらわれぬ人々の話)
第二十四 簡傲篇(驕り高ぶった性質を持った人物の話)
第二十五 排調篇(他人を言い負かしたりやりこめたりする話)
第二十六 軽詆篇(他人を軽蔑し誹る行いをした人物の話)
第二十七 仮譎篇(カケツ、他人をうまくあざむいた話)
第二十八 黜免篇(チュツメン、左遷や免職に関する話[2])
第二十九 倹嗇篇(ケンショク、けちんぼの話)
第三十  汰侈篇(タイシ、贅沢に関する話)
第三十一 忿狷篇(短気な人物の話)
第三十二 讒険篇(悪説により他人を陥れた人物の話)
第三十三 尤悔篇(同じ過ちを繰り返し起こしてしまった人物の話)
第三十四 紕漏篇
第三十五 惑溺篇(女性に迷い溺れた人物の話)
第三十六 讎隙篇(シュウゲキ、讐を恨んだ人物の話)